なかなか生まれない

12月1日はケントの誕生日だった。

 

26歳になった。

 

 

26年前、ケントはなかなか生まれなかった。

 

5分おきの陣痛が8時間も続くなか、ラベンダーの香りを嗅ぎながらひたすら耐えていたことを思い出す。

 

夜中になり、半ば無理やり産まされた感じだった。

 

自然に生まれることを待っていればケントと、12月2日生まれの私は誕生日が同じだった。

 

まぁ違っていて良かったた思うけど‥‥

 

 

とりあえず、口がきけるようになったケントに聞いてみると「もっと、ママのお腹の中にいたかった」と言っていた。

 

どうやらお腹の中は赤くて、あったかくて居心地が良かったようだ。

 

 

今は覚えていないだろうが、子どものときは、前世のこと、お腹の中にいたときのこと、生まれるときのこと、生まれてからのことを話してくれた。

 

ちなみに他の子どもたちも、小さいときはそれぞれそういう話をしてくれた。

 

 

記録してあるので、読み返すとなかなか興味深い。

 

 

選んでやって来た

 

 

 

 

 

 

 

とにかく、子どもたちは夫と私を選んでこの地上にやってきた。

 

次男は天から地上を見下ろして「あのパパとママが優しいからそこに行こうと決めた」と言っていた。

 

私はその「優しい」ってどういうことかな?と思ったことがある。

 

これを言ったのは、次男が4歳くらいだったのではないかと記憶している。

 

つまり、まだ語彙が少ないときだ。

 

勝手に私が思ったことは、自分のもっている良いものを大切にしてくれる両親を次男は探したのではないか?

 

これは感覚的に感じたこと。

 

私は、優しい、優しいお母さんではなかった。

 

どちらかと言えば、激しいし、よく怒ったし
自分が思い描く優しいお母さんからは程遠かった。

 

でも、子どもたちの良いところは、絶対に潰してはならないと思っていた。

 

なぜなら、彼らは生まれたときからそれぞれにすばらしいものをもっていた。

 

親として、それを潰してはならないという、強い思いがあった。

 

潰さなければ、子どもたちは勝手に成長して行くし、良いところを伸ばして行く。

 

次男はそれをしてくれる両親を探した。

 

他の子も同様だと思う。

 

彼らには果たすべき使命がある。

 

それをやり遂げるためには、子ども時代に良いところを潰されてはならない。

 

そう思っていたのではないか?

 

次男は大学生になってからこんなことを言った。

 

「私は、親に否定されたら、生きていなかったと思います」

 

もちろん、虐待されてもその中で優しさを身につけすばらしいおとなになった方はたくさんいる。

 

でも、繊細な次男には、それは難しかったのだと思う。

 

 

今日は、良いお天気。

 

なぁーんにもない誕生日を、のんびり感謝しながら過ごそう。

 

冷凍庫には次男が注文してくれたマロンケーキが眠っている。

 

数日前に次男は「お母様、この中からお好きなケーキをお選びください」と言ってくれた。

 

人気のケーキのランキングだった。

 

なぜか4位からだったので、1位から3位を見たいと言ったら「予算の関係で4位からになります」た言われた(≧∇≦)

 

とりあえず、ベスト10に入っているマロンケーキをありがたく頂だこう( ◠‿◠ )