この間、テレビで、かつて虐待されていた子どもたちが、その経験を講演の中で語ったということを紹介していた。

 

注目すべきところは、その講演会に虐待していた親を招待していたこと。

 

 

もちろん、全ての人ではないけれど‥

 

 

その子は虐待を乗り越え、親と今は良い関係を築いているという。

 

 

たから、講演会に親が来てくれたんだと思う。

 

 

でも、その子(人)は言うんです。

 

 

「赦していないし、赦しちゃいけないと思う」って‥

 

 

だけど、今は良い関係を築いているし、そのための努力をしている。

 

 

 

それって、すでに赦してますよねって思う。

 

 

 

多分、親が子どもを虐待することは赦しちゃいけないっていうことなんだと思うけどね。

 

 

でも、彼女は苦しんだ末に、親と良い関係を築く決心をしたからこそ、今の関係を親と築いているわけで、「赦さなーい!!」ってなっていたら、怨み続け、笑いながら親と話すことなんてないはずだ。

 

 

 

長くて生きていれば、ひどいことをする人にも出会うし、うそをつかれたり、裏切られたと感じることもある。

 

 

 

正直、顔も見たくないと思うことはある。

 

 

 

でも、クリスチャンゆえのさがなのか「赦し」は大きな課題。

 

 

 

だって、人を赦さなければ、自分の罪も赦してもらえないと聖書には書いてある。

 

 

かなり、ざっくりした書き方だけど‥

 

 

自分だって、そのつもりはなくても相手からしたら傷つけられたということはあるのだと思う。

 

 

 

もちろん、自分の罪を赦してもらうために人を赦そうということではない。

 

 

 

人を赦すには大きな愛が必要だ。

 

 

その愛を身に付けることが大きな目標❣️

 

 

「こんなことされて、赦せない」という思いと、「わたしはあなたを赦します」という思いが交錯するのですよ。

 

 

そして、時間はかかっても赦すことが自分のためにも大切だってことを心の底の方で知っている。

 

 

 

赦さず、怨み続ける人生はあまりにも悲しい。

 

 

今日は広島に原爆が投下された日。

 

 

広島から、怨みではなく、平和を祈り、願う気持ちがひしひしと伝わってくる。

 

 

あれほどの地獄を見ても、願いは平和。

 

 

怨みじゃない!!